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「ちょっと一息 坊農写真館」へご来館くださり、
誠にありがとうございます。
第37回の「坊農写真館」をオープンいたします。

今回は昨秋から今年の桜の季節に至る移ろいをお届け致します。
新型コロナ感染が収まらず、鶴見緑地などの近場に時折出掛けての
撮影となりましたが、滋賀や長野にも出掛ける機会がありました。

ごゆっくりご覧くだされば幸いです。
写真館のご感想・ご意見は、こちらまでお寄せください。

→→→ bouno@lime.plala.or.jp

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1.靭公園のバラ
 10月中旬、秋バラの候となりましたので、久しぶりに大阪市バスだけを利用して「靫公園」へ行ってきました。「靫公園」では園内いっぱいに秋バラが咲いていたのですが、以前見たときの印象とは違って、なぜか規模が小さくなったように感じら、肝心のバラの花は心なしか寂しく思われました。
 しかし、園内にいろいろな施設が施され、子供たちが楽しそうに遊ぶ姿が見られ、まずはよかったかな?と思われました。「靫公園」は京町筋を挟んで東と西に分かれて設置されていた筈なんですが、現在では東側だけが公園となっていて、西側にはたくさんの「テニスコート」が設置されていました。
2.近江の旅
 10月下旬、かねてから一度訪ねてみたいと思っていた「近江の旅」に出かけてきました。まずは琵琶湖湖畔に生い茂る水郷を巡る「水郷巡り」です。「水郷巡り」は湖畔に生い茂る葦の間を小さな舟で巡るのですが船に乗る人数によっては数人が乗れる舟から23人用の小さな舟があり、「コロナ禍」の今、多数人が乗る舟は出ておらず、私が乗った舟はほんの小さな34人乗れる舟でした。この旅のもう一つの目的は、「国民休暇村近江八幡」で一泊して「近江牛のすき焼き」を食べたかったことです。
 翌日の空は曇りがちでしたが、
JRで「近江八幡」駅から「長浜」まで足を伸ばし、船で竹生島へ渡り、宝厳寺へお参りすることにしました。宝厳寺は最近改修され、有名な「唐門」など多くの施設が新しくなっているところを拝観させて頂くことができました。憧れていた宝厳寺は船着き場からすぐに高く長い階段が続き、杖をつきながらも懸命に上りました。
3.中之島のバラ
 10月30日、大阪市役所でシルバー作品展の準備をした後で、 中之島のバラ園へ行って見ました。「秋バラ」の最盛期でしたが、少しだけ撮ってきました。
4.長居公園のコスモス
 10月末日、久しぶりに長居公園へ行ってきました。図らずも1030日から1123日まで「秋のコスモスフエアー」が開催されていて、珍しいコスモスをたくさん鑑賞できました。
 コスモスには「お椀型」や「筒型」とか「とんがり花びら」などのコスモスがあるなんて知らなかったです。もっともっとたくさん撮ったのですが、ありきたりのコスモスでは面白くありませんからこれだけにしておきます。
5.奈良・薬師寺へ

 11月に入り、久しぶりに薬師寺へお参りしてきました。薬師寺は西暦680年に天武天皇により発願され、持統天皇によって本尊開眼されたのち、文武天皇の代に飛鳥に堂宇(お堂の建物)が完成されました。薬師如来を中央に向かって右が日光菩薩、左に月光菩薩が配され、併せて「薬師三尊」と言われ、法相宗の大本山となっています。
 しかしその後、平安遷都(710)に伴って現在の地に移され、南都七大寺の一つとして、金堂を中心に東・西・両塔、講堂、回廊が建ち並び、1300年を経て現在でもこの地に建っています。残念ながらその殆どは享禄元年の兵火により灰燼となりましたが、「東塔」のみは「白鳳時代」以来、現在でもその姿を凜として残されています。
 灰燼となった諸堂宇は昭和42年に高田好胤管主により白鳳伽藍の復興が発願され、「西塔」の修理も実に453年ぶりに今年に完成されました。幸いにもお天気に恵まれ、「東西両塔」の揃った写真を久しぶりに撮りました。

6.秋の長谷寺

 11月中旬、久しぶりに「秋の長谷寺」へお参りに行ってきました。長谷寺はいつ行っても私を優しく迎え入れてくれます。長谷寺の長い階段(登廊)はその一段一段はあまり高くなく、昇りやすくなっています。
 長谷寺は西国33第八番の札所となっていて、巡礼旅の象徴として大きな「わらじ」が門前に吊されていました。「登廊(のぼりろう)」は399段あり、平安時代に造られたもので、風雅な「長谷型灯籠」が吊るされています。長谷寺の御本尊は十一面観音菩薩で、お身丈約10m、楠の霊木で三日間で作り上げたといわれているものです。
 長谷寺のすぐ側に「徳道上人」を祀る「法起院」がありましたので、お参りしてきました。「徳道上人」は西国33札所を始められたお方で、病で仮死状態となられた時、夢の中で「閻魔大王」から「悩める人々を救うために三十三ケ所の観音霊場を広めるよう」告げられたといわれています。

7.長野の旅(諏訪大社)

 11月下旬、ひょんなことから、諏訪大社を訪れることになり、いろいろな角度から写真を撮ってきました。大社の御殿にはこの地で採れた野菜が供えられていて紅葉に映えて美しく感じられました。
 諏訪大社へお参りする前に、天竜川にかかる「天竜橋」に立ち寄りました。この橋は最近に架けられたものらしく、橋の上から眺める光景は素晴らしく、「天竜下り」をする船も見られました。
諏訪大社へお参りするために「秘湯の1軒宿」に泊まることができ、翌朝早く、近くにある「乙女滝」に足を踏み入れてみました。

8.宇治散策
 12月に入り、良いお天気に誘われて懐かしい宇治訪れてきました。平日ともあって観光する人は余り見かけず、ひっそりとした宇治をのんびりと散策できました。平等院への道はまだ紅葉が残っていて秋の陽が葉を一層きれいに映えさせていました。
 平等院から中之島へ渡り、興聖寺へ向かう道にもまだまだ紅葉が美しく残っていました。興聖寺の参道は紅葉のトンネルになっていて、いろんな景色が見られますが、今回は興聖寺の中へお参りすることにしました。
 興聖寺は今まさに紅葉の真っ盛りで、参道のモミジは色を競うようにして私を誘っています。興聖寺は禅寺ですから、木製の魚の形をしたモノが吊され、来訪者がこれをたたいて内部の人に知らせたり、禅僧たちに時を知らせるようにしていたそうです。
9.大阪城公園の紅葉
 12月上旬、大阪城公園の紅葉を見たくて行って見ました。コロナ対策のため、大阪市民以外の人たちは「天守閣」へ昇ることは制限されていましたが、私は高齢者でもあり、足腰が不自由なため、優先的にエレベーターに乗せて頂くことができました。天守閣の上から眺めるおおさかの街は良いお天気のおかげもあって、格別に美しく、また愛おしく感じられました。
 私は大阪城公園を訪れた時には、必ず「教育勅語」が書かれている碑を見ることにしています。戦前の学校では必ずこの「教育勅語」を暗記で斉唱させられていましたので
いまでも一部は暗唱できるほどになっています。
10.京都・東福寺へ

 翌日、京都紅葉の名所である東福寺へ行ってきました。京阪東福寺駅から歩いて約10分、東福寺の中門からまず通るのが「臥雲橋」。ここから眺める「通天橋」とその手前に広がる紅葉はよく知られる風景で、下に広がる渓谷「洗玉澗(せんぎょくかん)」に写る紅葉の様子も見応えのある風景でした。殆ど人混みがないこの日の東福寺は一面の紅葉に彩られ、まさに秋本番を満喫できる景観でした。
 「洗玉澗」まで降りて両側に生い茂る紅葉を眺めて上にたどり着くと「愛染堂」があり、そこから眺める紅葉もまた格別でした。「愛染堂」からつ続く廊下をつたうと「開山堂」にたどり着くのですがそこから眺める紅葉も実に見事なものでした。
 「方丈」と「開山堂」を結ぶ「通天橋」から眺める一帯の紅葉も実に美しい眺めでした。東福寺の創建は鎌倉時代で当時は仏殿に高さ15
mの大仏立像が安置され京都の「新大仏持」とされ「京都五山」の一つに数えられていました。「東大寺」と「興福寺」から一字ずつとって「東福寺」とし、「聖一国師」を迎えて開山したのです。

11.龍吟庵と即宗院
 東福寺の境内は実に広く、「龍吟庵」は「方丈」の一部で「堰月橋」を渡って少し行くと静かな処にありました。「龍吟庵」の方丈には六つの部屋があり、それぞれに面した庭には四つの庭が設けられています。「西庭」(龍の庭)は龍が海中から黒雲を得て昇天する姿を石組みによって表現しています。南庭(無の庭)は方丈正面に位置し、一木一草をも用いない簡素な白砂敷きとなっていて「無」を表現しています。
 また、東庭(不離の庭)は方丈と庫裏を結ぶ渡廊下に面した長方形の庭園で、赤砂を敷いて中央に長石を臥せ、その前後に白黒の二石を配しているのですが、これは狼に襲撃されそうになった国師の身を二頭の犬が守ったと云う故事に基づいて作庭されているそうです。北庭(北斗の庭)には円柱の石で北斗七星を表し、市松模様のサツキを配しています。
 これら四つの庭に配された「蓬莱」「方丈」「瀛州」「壺梁」「八海」「五山」「井田」「北斗七星」の八つを「八相成道」(釈迦の生涯を八つの重要な出来事)に因んで命名されています。「即宗院」は東福寺の境内にあり、雄大深淵な自然は東福寺塔頭の中でも随一で、「紅葉と苔」の美しさには定評があると云われています。「即宗院」は月輪殿とも呼ばれ、平安時代後期関白藤原忠通の山荘としたことに因んでいます。
12.晩秋の慶沢園

12月中旬、寒さが続いていた中で、久しぶりに暖かい陽を受けた木樹は生き返ったよな様子を見せて、私を迎え入れてくれました。殆ど誰も入園者はおらず、私一人が「慶沢園」を独り占めの如く、心ゆくまで散策を楽しむことが出来ました。「慶沢園」の奥に「河底池」がありますが、ここに架かる「和気橋」には次のような「言い伝え」があります。
 奈良時代、延暦7(788)和気清麿が旧大和川の流れを変えるために上町台地を開削した際、茶臼山古墳の壕を利用した名残が「河底池」であると伝えられていることから「和気橋」と名付けられています。この「和気橋」を渡った先には大阪冬の陣で家康の本陣と戦国時代の古戦場として「茶臼山」があります。冬の陣では家康の本陣となり、夏の陣では幸村が布陣し、激戦地となった処です。

13.今年のお正月

 今まで「お正月は我が家で迎えるべき」としてきましたが、生まれて初めて「元旦を外部で迎える」ことにしました。「コロナ禍」の中ではありましたが、あえて外へ出て行くことにしたのは、昨年に父親の50回忌、母親の33回忌を無事に勤め終えたこともあり、私たち夫婦が「ダイヤモンド婚」(60周年)を迎えたため、これを記念するためにも新年を外部で迎えることにしたのです。
 宿泊所として選んだのは以前から馴染みのある「しあわせの村」です。この「しあわせの村」は神戸市立の総合福祉施設であり、日本庭園、温泉、高齢者・障害者などの福祉・医療設備やリハビリ設備とか体育館、プール、トレーニングジムの他、テニスコートやゴルフ場、馬事公苑、キャンプ場なども設置されています。
 幸いにもお天気に恵まれ心配していた雪も降らず、他の宿泊者も少なく広い施設や園内を巡回するバスにも乗ったりして日頃の「心の疲れ」を落とすことが出来ました。

14.大阪城梅林
 2月10日、良いお天気が続いていたので、そろそろ梅の花が咲いている頃だろうと思って大阪城梅林へ行って見ました。紅梅・白梅など沢山の梅の木が綺麗に咲いていました。
15.早春の長居公園

 2月14日、そろそろ梅の季節になりましたので長居公園へ行ってきました。長居公園では、先週の日曜日(2/7)に大阪女子マラソンが行われていたようです。園内では、はや、河津桜が咲き初めていました。真っ青な青空がまぶしく、少し歩くと汗ばむほどの暖かさでした。長居公園にはツバキがたくさん植えてありまが、見事な「散りツバキ」がありました。
 アジサイ園の側に立派な「パンパース」があり、青空とマッチして綺麗な姿を見せて居ました。長居公園の梅林では紅梅・白梅の他に真っ赤な梅や緑色の梅もあり、いずれも綺麗な花を付けていました。

16.2月から4月の鶴見緑地

 2月に入り、もうそろそろ梅が咲いている頃だろう鶴見緑地へ自転車を走らせました。 緑地では紅梅・白梅の他にまだツバキが残っていましたが、河津桜が蕾を膨らませ、もう花が開いているものも見られました。梅林の前に咲いている「ろうばい」は、はや満開でした。3月26日、「コロナ禍」の中、どうしても近くの「鶴見緑地」へ足が向いてしまいます。春は間違いなくやってきています。
 「カンヒサクラ」も「ボケ」の花もまるで待ち構えていたかのような姿で私を迎えてくれています。鶴見緑地ではサクラの一種である「ヨウコウサクラ」や「枝垂れ桜」が咲いていて最早、春の景色を満喫することができました。大池の側で鳩の群れが一斉に飛び立つ様子が見られ、
「風車の丘」では一面の「ビオラ」が咲きそろっていました。一面に植えられたビオラの中に、チューリップが植えられていて、もう少し日が立てば訪れる我々の目を楽しませてくれることでしょう。
 春の日の穏やかな日差しを受けながら、緑地の中をゆっくりのんびり歩いてきました。4月に入っても、度々近くの鶴見緑地へ足を運んでいます。
緑地は今や春爛漫で、陽光のもと、大いに気分を晴らしてきました。緑地ではチュ−リップやツツジが綺麗な姿を見せ、レンゲの花も春を待ちかねていました。タンポポ帽子が風に吹かれ、麦の穂が先をそろえて春陽を受け、赤く染めたモミジの葉がその芽を春風に揺らせていました。

17.春の大阪城公園(3月〜4月)

 3月27日、西ノ丸庭園の桜が満開になっているだろうと行ってみました。大阪城公園の西の丸庭園では見事な桜が咲いていて、のんびり、ゆっくり散策してきました。 約一月後の4月20日、ツツジが見事に咲いている頃だろうと思って行ってみました。  案に相違せず見事なツツジが咲いてくれていました。大阪城公園では「ツツジロード」があり、道の両側には満開のツツジが私を迎えてくれていたり、はや、藤の花まで姿を見せ喜ばせてくれました。
 大阪城公園では子供や高齢者など園内を歩かずに見て回れるように「ロードトレイン」が運行されていたので、「極楽橋」から「森ノ宮口」まで、
高齢者は100円で乗せて戴きました。広い園内の広場で寝そべっていると、目の前に偶然にも「日暈」現象が見られました。これは雨が降る前兆で、太陽の周りに輪を描いて虹のような暈がかかる現象です。

18.宇治の春(恵心院と橋寺宝生院)

 4月に入り、久しぶりに宇治の街を散策してきました。宇治川はいつも変わらぬ流れで私を慰めてくれました。かねてから一度は訪ねてみたいと思っていた「恵心院」へ行ってきました。山門を入ると「春一色」の様子に驚きました。「恵心院」は花の寺として知られている処ですが、一般にはあまり知られていません。
 この時期に「サクラ」あり「ボケ」あり、「ボタン」あり、「チューリップ」ありで、まさに「百花繚乱」の感じでした。京阪宇治駅から宇治川沿いに少し歩いたところに「橋寺宝生院」があります。この「橋寺」は「宇治橋」を守護するために建てられたお寺で、あまり人々には知られていませんが、広い境内には四季折々の花々が咲き乱れていました。

19.奈良散策

 4月初旬、かねてから念願であった奈良の平城宮跡を訪ねたくなり、お天気の良い日を選んで自転車で宮跡内を巡ることにしました。先ず、西大寺でレンタル自転車を借り、そこから「西大寺」を参拝しました。
 西大寺の境内はたいへん広く、毎年お正月に「大茶盛り」が開催される場所は、残念ながら拝見することはできませんでしたが、静かな境内の中をゆっくり参拝することができました。西大寺から、いよいよ今回の目的の「平城宮跡」へ自転車」を走らせました。
 「平城宮跡史料館」を訪ねたあと、「朱雀門」に向かいました。ここは近鉄電車の窓からよく眺めていたのですが、間近に見るのは初めてで、こんなに大きなものだったことに驚きました。
 「大極殿」の欄干にはいろんな「宝珠」が取り付けられており、欄干から見渡す南方の広場は「朱雀門」に至るまで見渡す限りかなり広い広場となっており、途中に現在は復原補修中の「南門」があり、穏やかな日差しの下、ゆっくり、のんびり見学させて戴くことがでました。「大極殿」の中央に「高御座」が据えられとり、東西南北四方の壁には「玄武」「青龍」「朱雀」「白虎」の四神の絵が描かれていました。

20.奈良散策続き

 「平城宮跡」東南の一角に「東院庭園」がありますので、こちらも訪れ、しばし休息、春陽を受けながら、のんびりさせて戴きました。「平城宮跡」から直ぐの処にある「法華寺」へ足を伸ばしました。ここは電車で来るには多少不便なところで、自転車で来ているからと立ち寄ってみることにしました。
 境内には名勝庭園もあると云うことなので入ってみたのですが時期的にあまり綺麗な庭園とは言いがたく、なぜか寂しい感じがしました。このお寺は「聖武天皇」のお妃である「光明皇后」が創立した総国分寺の大本山で、女人修行の根本道場として知られ、金泥の法華経が納められていることから「法華寺」と名付けられたとのことでした。
 続けて「法華寺」の直ぐ近くにある「海龍王寺」へ行ってきました。「光明皇后」の創建なのですが、遣唐留学僧であった「玄坊」が東シナ海で暴風雨に遭った時「海龍王経」を唱えることにより無事に帰国できたので、「玄坊」が聖武天皇から住持に任じられ「海龍王寺」と云われるようになったとのことです。
 また、境内の西金堂内には国宝の「五重小搭」が安置されていて
細部は天平時代のかなり早い時期の手法が用いられているだけでなく、高さは相輪まで2.85mしかないと云う日本で最も小さな五重塔で、建造物としての天平時代の五重塔はこれ一基しか現存しておらず、非常に価値が高いものとなっています。

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